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仕事の打ち上げということで、
ホテルのランチに呼んでいただいた。
美味だった。

大きなガラス窓の向こうには、春めいた庭が見渡せ、
ビッフェは珍しい料理が並んでいた。
あれもこれも食べ放題なわけだ。
美味しくて楽しくて、わいわいおしゃべりが弾む。

でも話題は、自ずと地震に尽きる。
「知り合いが家具の間に埋もれて、ご主人が帰るまで身動きとれなかった」
「ひとり者は生きていけない。仕事帰りに買い物しようとしても何もないから」
これらは、東京での話だ。
「被災地はもっと大変なんでしょうね」

賑わいの中にも、ふとガラス窓の外の春に目をやって、
言葉が途絶える。
とにかく残しちゃいかんな。と思う。

「ま、消費行動もある意味社会貢献だよね。
野菜もほら、せっせと食べなくちゃ」
そういい聞かせながら、喜びを奮い立たせてみる。

行き帰りの駅構内は、何となく薄暗く、
動く歩道は止まっていた。
これ、本当にいらんな、こうして見ると。

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東京に帰って来てまず驚いたのは、
地震の翌日から店の商品棚が空っぽになり始めたことだ。
あの揺れと帰宅難民とテレビでの生中継に、どっぷりと身を置いた人たちにとって、
東京は被災地そのものだったのだ。

たまたまそこに居合わせなかった私も、
極端な品薄状態に、ついつい買い物しようとしたが、
「ちょっと待て」と、ふと気づいた。
昨日までいた富山では、モノは普通にあったのだ。

そこで調べてみることにした。
これが私の一番の精神安定剤でもある。
まずはトイレットペーパー。
以前に取材したこともあるのだが、主産地は東京より西にある。
静岡県富士市が全国の約3割、その他にも関西や四国で多く生産されている。

富士宮も一度大きな地震があったから、それが原因?と、現地に問い合わせると、
「生産は通常通りですよ。流通だって東京までは普通です。
もし影響があるとすれば、計画停電。
物流や計算までできなくなるのですから」
つまり、買い占めのほとぼりがさめれば、
商品は自然にやってくるらしい。

あれ?っと驚いたのが「納豆」だ。
本当にスーパーから消えている。
そこでこれも問い合わせたところ、こっちはちょいと深刻だった。

主産地である茨城県が震度6強の被災しており、
主要納豆メーカー2社の工場がやられているのだ。
実はこの2社で、全国の納豆50パーセント以上を製造している。
現地ではその他小さなメーカーも多々あるのだが、
ここで問題になるのが、再び計画停電。
「納豆の生産過程で、茹でた大豆を一定温度に保った室で数日間発酵させ、
それを急速に冷蔵して発酵を止める作業があるのですが、
これが計画停電のためにできないのです」

思えば納豆こそ、今回の被災地に丸ごとかぶる食材だ。
でも調べてみれば、東海以西にも案外納豆工場があることにも気づいた。
原料である大豆は、ちゃんと一年分確保されているらしいし、
都会では計画停電中に手軽に栄養を取れるものとして、
納豆が売り切れてしまったという事情もあるらしい。
これも時間を経るにつれて、復旧するのではないかと明るく考えている。

つまり、品薄の背景には
・工場の被災
・物流
・計画停電による停滞
・原料の損失
などがあると思われるが、冷静にひとつづつ考えていけば、
それほど深刻な事態でもないことに気づく。
第一、万が一何かが入手できないところで、すぐさま栄養失調になる国でもない。

むしろ、家庭に買い占められた商品や、
増産したけれどもタイミングを逸した食べものが、
賞味期限切れになって廃棄されるのではないか、
そっちの方が心配になる。

といいつつ、酒がない! 煙草の生産中止!
と,夫は今更ながらに慌てているのだが。

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漁師さんや船宿の方々から伝え聞く、
東京湾の地震被害。
何だか、想像以上のものらしい。

そこで、よろしければご存知のことを、
コメント欄にお知らせください。
どんな小さなことでも結構です。
その他、関東の沿岸部。

気になります。

どうぞよろしくお願いいたします。

       

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by sibamataumare | 2011-03-26 22:42 | 東京湾 | Comments(0)

東京湾岸が、かなりの打撃だったことは、
少しずつわかってきた。
でも考えてみたら、東京は今、まさに被災している真っ最中なのだ。

福島第一原発は、いわば東京の飛び地。
たまたま福島県にあっただけだ。

その影響が、計画停電であり交通機関の遅延であり、
それに加えて本当に損壊した工場の停止や運送のマヒや品不足や何やらかにやら、
ちゃんと被災地なのである。

もう随分前に読んだ話なので、何年遡ればいいのかわからなくなってしまったが、
「生活を20年戻せば、電力消費量は半減?←この数字も忘れた)」、
本当にいい加減な話ですみません。

でも、言い得て妙だ。
自分の生活も振り返ってみれば・・・・・、
あ、20年前とほとんど変わっていない。

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テレビでは東北の話ばかりだが、
じわじわともっと身近な被害状況が聞こえ始めている。
東京湾の漁師さんや船宿の方々からのお話には、息をのむ。

とりわけ大変そうなのが、木更津の海苔だ。
2月に海苔すきツアーをしていただいたばかりのあの海が、
コスモ石油火災で、一瞬にして全滅してしまったのだという。
「あん時の海苔が、最後の方になっちまったなあ」と、
海苔漁師の高根さんが、うめくように言った。

あんなに一生懸命育てた海苔が・・・・・。

落ち着いたら、調べて歩きます。
被災して大変な皆様も、どうぞ頑張って。

                じゅんこ拝

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by sibamataumare | 2011-03-26 11:55 | 東京湾 | Comments(2)

あの地震の時、東京湾にも津波が来ていた。
うっかりしていたが、
東京湾の漁師さんたちにも、いろいろな被害があったのだ。

今日、久しぶりに何人かの方にお電話して、
遅ればせながら、そのことを知った。

そのうちまとめます。

予想で2メートル
実際には3メートルあったらしいと、
横須賀の漁師さんはいう。

神田川にまで、水が上がって来たというから、
東京も決して傍観者ではなかったのだと、
改めてドキドキ。

ましてやお隣千葉県には、ずいぶん被害があったのだ。

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by sibamataumare | 2011-03-23 22:14 | 東京湾 | Comments(10)

こんな時にトイレットペーパーが切れそうだ。
あわてて探しにいくと、一件目の薬局で5袋あるのを発見して、
ひとつ買った。
よかった。

花粉症用のティッシュも、3件目で2パックだけあるのを発見。
何だかゲームをしているような気にさえなってくる。

パンはだんだん落ち着きつつある。
増産し過ぎて、賞味期限切れで処分なんてことにならないことを祈る。
ペットボトルの水の姿も見た。

案外本当はあるのに、買い占めるから姿を消しているのか、
運送がうまくいかないので、店先に並ばないのか、
工場がやられたので、製造ができないのか。

この余波が、ちょっとドキドキする。

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少しずつ、被災地の知り合い達の安否が聞こえ始めた。

「商店街のうちの店の前に船が3艘あるよ」
「津波に車ごと流されて、体だけ木に引っかかってつかまっていたら、
近くの家の人が延長コードを投げてくれて助かった」
「地震は持ちこたえたんだけど、その後病状が急激に悪化して・・・・・」

テレビできれいに編集された映像だけではない、
いろんな現場があることが、じわじわ感じられて来た。

そういえば昨日、「散歩の達人」4月号が、
駅売店の店頭に並んでいた。

ああ、っと、懐かしい人に会ったような気分だ。
思えば、この号は3月10日に校了して、
11日朝に印刷所に送られたはず。

よくぞ無事に印刷されて製本されて運送されて、
ここまでたどり着いてくれたものだ。

どれだけの方々のご尽力の上に、一冊の雑誌が成り立っているのかと、
店先でしみじみ感じ入ってしまった。

なわけで、日本橋特集。
よりによって水辺の話を書いたのだが、
人は本当に水と寄り添って生きて来たのだと、
これまたしみじみ。

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昨日は突如、大々的に停電するかも、と、騒ぎになり、
電車が大幅に減って、改札口から長蛇の列になったようだ。
私も思わず早めに入浴してご飯を作ってさっさと食べた。

すると、テレビで「停電は回避されました」。

ああ、よかった。

そして余震。

そして放射能。

そして品薄。

もうスーパーマーケットに買い物に行くのをやめた。
空っぽの陳列棚を見ると、妙に不安をかき立てられて、
ついつい余分な買い物したくなるから。
旅帰りだったから、家になかったものを最小限度買いそろえることができた今、
もうよしとする。
丸1日買い物に出なかったら、何も不足していないことに気づいた。
いかんわ。まったく。

近所の外国人家庭が、帰国し始めた。
日本人の知り合いたちも西に避難し始めたらしい。
関西の友人たちも「おいで」と言ってくれる。
ありがたい。

でも、今はここにいる。

さくっと調べてみれば、福島第一原発は東京電力であり、
東京に電力を供給しているが、
現地は東北電力エリアだ。
「福島には全然電気落としてないはずだよ」と、
某電力会社の友人はいう。

だから東京の人は、西に逃げるどころか、
「ご迷惑おかけしましたねえ、うちと代わりましょう」と、
現地の方々と入れ替わったっていいぐらいの立場なのだ。

20年ほど前、夫婦で全国の村を巡って歩いていた頃、
ある山村にびっくりしたことがある。
本当に地味な土地で、村には宿が一軒しかなくて、
それも看板すらなくて、泊まってみれば、
子供部屋の隣の一室だけが客間だった。

宿をはじめ、村の家々では牛を飼って、
山から集めて来た枯れ葉と牛糞を合わせて肥料を作り、
それで煙草の葉を育てて、
山の水で野菜を洗っていた。

調理後の鍋釜を洗った水は、栄養があるからと牛にやり、
それを捨ててしまうような嫁は叱られたものだ、とお年寄りはいった。

何より驚いたのは、家ごとに炭焼き窯があることだった。
「なぜ?」と思わず地元民に尋ねると、
「なぜって、燃料を作るためだな」と、
何を不思議な顔をする? といった返事だった。
20年前とはいえ、どんな村へ行っても、
炭焼き窯は既に「昔の生活を再現」といった趣でしかなかったから、
何十村と回った私たちの目にも、かなり衝撃だったことを覚えている。

本当に連綿と昔からの循環型生活がそこにあったのだ。

で、何をいいたいのかというと、
その村の若い衆は、毎日車で原発に通勤していたということだ。

福島県のその村、見ればすっぽり屋内避難範囲に収まっていた。

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by sibamataumare | 2011-03-18 22:39 | 村へゆけ | Comments(0)

なのでまた

でも集中できん。揺れてる。

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