カテゴリ:村へゆけ( 16 )

東京は暑かったらしい。
私? 楽だった。ほれ。

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な、わけもないのだが、
目の前の山々に雪渓が残っていたのは本当だ。
視覚だけでも、ちょいと涼んで下さいませ。

何年ぶりの村歩きだろう。

このところ、東京や漁師町が専門の如く仕事をしているが、
実は私たち夫婦は、日本中の過疎村を
ぐるぐるぐるぐる巡り歩く日々が、十数年続いた。

「人の生活を記録する」作業の原点は、ここにある。

今回は、20~30年前に通っていた村を訪ねた。
知り合いたちは、相変わらずお元気で、
以前泊まった宿の女将は健在で、
雄大な風景は相も変わらず、
郷土料理は旨かった。

もちろんいろんなことが変わっていて、
話せば話すほど、そのことに気づくだろう。

でも、久しぶりの村が、すっと私たちを迎えてくれたこと。
それがやはり嬉しいのだ。

これもまた、いずれ発表いたしまする。
どうぞよろしくお願いいたします。


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そんな訳で、この日の私が食べたのは、

・山菜そば
・栃の実もち
・なめこ刺身
・にんじんジュースなど

村人が地道に採って保存した天然ものの山菜やキノコや木の実を堪能。
ローカロリーで繊維質たっぷりで美味。
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by sibamataumare | 2013-07-11 00:22 | 村へゆけ

久しぶりに田んぼを手伝いにいった。
新緑が美しくて、心地よかった。

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by sibamataumare | 2012-05-01 01:58 | 村へゆけ

東日本大震災もすさまじかったが、
翌3月12日は、長野県栄村に大きな地震が襲いかかった日だ。
この村界隈には以前、随分通い詰めていたので、
第二の故郷のように感じる村だ。
豪雪でもあるし、
この一年のご苦労がしのばれます。

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by sibamataumare | 2012-03-13 02:45 | 村へゆけ

紀伊半島がとんでもないことになった。

村巡りをしていた頃、あの界隈の山道もよく車を走らせ、
ひなびた過疎村の宿に泊まり歩いたものだ。

その紀伊半島や四国の山間部に訪れるたびに驚かされたのは、
あきれる程、山の上の方に集落が形成されていることだった。
谷筋の車道から、天を仰ぐようにして見上げると、
古びた家々が日向に点在しているのだ。

愛媛県で招かれた家など、標高800mもあって、
庭から雲海が一望なのが自慢なのだと、その家の長男はいった。
早朝訪ねると、それは本当に美しい光景だった。

そこは車の入れる舗装路が敷かれていたが、
未舗装の道、はたまた徒歩でしか行けない登山道沿いの家など、
山の民は、私たちの想像を遥かに越えた天空の地で、
大昔からゆったり暮らしているのだった。

何故かと問えば、答えは簡単だった。
「山の上の方が住みやすいから」。

つまりこうだ。
徒歩が原則の時代には、山の尾根道伝いの方が、
谷筋を迂回するよりは遥かに近道であり、
日当りは良く、斜面の畑は水はけも良いため、
作物は美味しく仕上がる。

そして何より、「谷筋は川が恐ろしい」のだと、
彼らは口々にいうのだった。
だから谷の道は後から作られた。
急峻な山々に囲まれた谷底に、ひとたび周囲の雨水が集まれば、
川はとたんに凶暴に牙をむく。
今回の被害を見て、彼らのいっていたのは、これなのかと改めて震えた。

もっとも川べりに住んでいる人たちも、
飄々と洪水と付き合って来た。
「ダムが出来る前は、こんな大雨の日には毎年何度も水があふれてねえ」
と女将がことも無げにいう川辺の旅館に泊まったこともある。
それでも2階に逃げれば大丈夫だし、
集落の中でもほんのり高台の寺に牛を連れて逃げ込めばセーフとか。
役場を高床式にしてボートが格納してあったり
彼らなりの川との絶妙な間合いがあるらしい。

ある時、ダム建設に先駆けて、川沿いに建設事務所を建てることになった。
村の人たちは「そこは危ない」と言ったのだが、
「計算上大丈夫」として、建設業者は建物を建てた。
が、一度目の大雨でさっさと流されてしまったのだと、
女将は可笑しそうに話してくれた。

「クエが恐ろしい」と、九州で狩猟をするおじさんが言った。
どんなけだものかと思えば、山崩れのことだった。
「家のあたりは、クエがきやすい」そうだ。

どの家も、「じゃあ何でそこに住んでいるのだ?」と、
よそ者には疑問なのだが、
皆、大自然との呼吸を合わせて、何となく住んでいる。
ま、東京だって、地震は頻発するわ、交通事故は多いわ、
うるさいわ、水はまずいわで、彼らからしたら、
信じられない住環境なんだろう。

とまれ、私がとても引っかかったのは、
「被害者の多かった市町村には、避難勧告が出されていなかった」と、
テレビニュースがかまびすしく叫んでいることだ。
リポーターが「避難勧告がなくてどう思われますか?」と、マイクを向けると、
「いや、自分たちで危険なら逃げるから」と、
答えたおじさんは、例の飄々とした面持ちだったのが印象的だった。

都会人はすぐ「責任問題」を唱えるが、
今回の雨はあまりにも想定を越えていた。
彼らをして「そこは山崩れが起きるとは思わなかった」わけで、
第一、山間部であの事態では「どこが山崩れしない安全な避難場所」なのか。

そして豪雨の中や夜間に山道を、ましてや高齢者が歩くことの恐ろしさは、
彼ら自身が一番良く知っている。
いつもなら、自然とうまく呼吸を合わせてかわしてきた彼らが、
想像を絶する事態に巻き込まれてしまった。
ただそれだけなのだ。

被害に遭われた方々に、お悔やみとお見舞いを申し上げます。

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by sibamataumare | 2011-09-06 18:27 | 村へゆけ

昨日は突如、大々的に停電するかも、と、騒ぎになり、
電車が大幅に減って、改札口から長蛇の列になったようだ。
私も思わず早めに入浴してご飯を作ってさっさと食べた。

すると、テレビで「停電は回避されました」。

ああ、よかった。

そして余震。

そして放射能。

そして品薄。

もうスーパーマーケットに買い物に行くのをやめた。
空っぽの陳列棚を見ると、妙に不安をかき立てられて、
ついつい余分な買い物したくなるから。
旅帰りだったから、家になかったものを最小限度買いそろえることができた今、
もうよしとする。
丸1日買い物に出なかったら、何も不足していないことに気づいた。
いかんわ。まったく。

近所の外国人家庭が、帰国し始めた。
日本人の知り合いたちも西に避難し始めたらしい。
関西の友人たちも「おいで」と言ってくれる。
ありがたい。

でも、今はここにいる。

さくっと調べてみれば、福島第一原発は東京電力であり、
東京に電力を供給しているが、
現地は東北電力エリアだ。
「福島には全然電気落としてないはずだよ」と、
某電力会社の友人はいう。

だから東京の人は、西に逃げるどころか、
「ご迷惑おかけしましたねえ、うちと代わりましょう」と、
現地の方々と入れ替わったっていいぐらいの立場なのだ。

20年ほど前、夫婦で全国の村を巡って歩いていた頃、
ある山村にびっくりしたことがある。
本当に地味な土地で、村には宿が一軒しかなくて、
それも看板すらなくて、泊まってみれば、
子供部屋の隣の一室だけが客間だった。

宿をはじめ、村の家々では牛を飼って、
山から集めて来た枯れ葉と牛糞を合わせて肥料を作り、
それで煙草の葉を育てて、
山の水で野菜を洗っていた。

調理後の鍋釜を洗った水は、栄養があるからと牛にやり、
それを捨ててしまうような嫁は叱られたものだ、とお年寄りはいった。

何より驚いたのは、家ごとに炭焼き窯があることだった。
「なぜ?」と思わず地元民に尋ねると、
「なぜって、燃料を作るためだな」と、
何を不思議な顔をする? といった返事だった。
20年前とはいえ、どんな村へ行っても、
炭焼き窯は既に「昔の生活を再現」といった趣でしかなかったから、
何十村と回った私たちの目にも、かなり衝撃だったことを覚えている。

本当に連綿と昔からの循環型生活がそこにあったのだ。

で、何をいいたいのかというと、
その村の若い衆は、毎日車で原発に通勤していたということだ。

福島県のその村、見ればすっぽり屋内避難範囲に収まっていた。

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by sibamataumare | 2011-03-18 22:39 | 村へゆけ

久しぶりに田んぼへ行った。

炎天下の草刈りだ。
あぜ道の草は青々と茂っていて、
鎌で刈り取ると、ふわっといい匂いが立ちこめる。
瑞々しい葉の下には、乾いた土が現れる。
この地面から、どうやって水を吸い出して体に巡らしているのか、
不思議なほどの割れた地面だ。

で、私たちもぼたぼたと汗がしずくとなってこぼれ落ちる。
木陰は涼しくて、これもまた驚いた。

食べものを作るのって大変だなあ。

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by sibamataumare | 2010-08-15 19:39 | 村へゆけ

今日は田植えだった。
お天気も良く、心地よかった。

この続きはまた。

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by sibamataumare | 2010-05-09 22:51 | 村へゆけ

昨日書いた海苔すき体験の漁師さんは、実は農家でもある。
行ってみれば、一見どうみても水田が広がる農村地帯だ。

しかし村はずれには、ちゃんと漁港があって漁船が並んでおり、
水田の間に点在する農家には、納屋の他に海苔作りの作業小屋が建っている。
中古民家主義的にも、かなり興味深い物件なのだ。

彼らは、この時期海苔作りに精を出す。
そして春の声を聞く頃に、海苔は終わり、田植えの準備。
春夏は農作業のかたわら海に出て、アサリ漁をして、
8月のお盆の前には、さっさと稲刈りを棲ましてしまう。

そして9月初旬に、目の前の盤洲干潟に竹竿をたくさん刺して、
海苔養殖の準備を始める。
働き者だ。

この集落では干潟ならではの昔ながらの養殖法が、今も生きている。
俗に「支柱柵」と呼ばれる手法で、
浅瀬に無数に刺した竹竿に、海苔のタネを付けた網を、
ハンモックのようにつり下げ、海中に沈めておく。
でも干潮時になると、網は空気中に晒される。
これが、旨い海苔を作る秘訣なのだそうだ。

漁師さんが目の前で作る海苔をつまむと、これまた香り高くて美味。
もちろん自分で天日干しする海苔は、また格別なんだけどね。

というわけで、1月31日の海苔すきツアーにおいでませ。

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そんな訳で、この日の私が食べたのは、

・野菜たっぷり挽肉カレー
・大根おろしとぬか漬け大根の皮の千切りとジャコ和え
・タコの甘辛煮

葛飾元気野菜はすごい。カリフラワーが洗面器ほどもある。
大分の漁師さんが下さったジャコも、友人がくれたタコの足も美味。
そして夫が全部作ってくれる幸せ。

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by sibamataumare | 2010-01-23 22:02 | 村へゆけ

昨日の田植えで、筋肉痛だ。

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でも夫たちが、この田植えの日までに通い詰めてこなした作業量といったら、
それはもう大変なものだったろう。
すぐ隣の休耕田は、背の高い草がぼさぼさに生えていた。
うちの田んぼも、この冬までは同じ姿だったらしい。

村を回っていた頃、こんな景色をよくみた。
中には、棚田をそのまま杉林にしていた山村もあった。
もし日本人が自給自足を余儀なくされる事態が起きたら、
田んぼ作りは、並大抵の苦労じゃないんだろうなあ、と思う。
でも可能なんだろうなあ、とも、嬉しく思えた1日だった。

おいしいお米が実るといいな。

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そんな訳で、この日の私が食べたのは、

・天然ブリの刺身
・ご飯

美味しそうな刺身を見付けて思わず買った。
なのに家族は皆、外食。
1人で食べた。
「淋しそうだね」と夫。ふんっ!
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by sibamataumare | 2009-05-11 23:45 | 村へゆけ

今日は田植えだった。
夫たちが休耕田を耕して作った新しい田んぼだ。

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by sibamataumare | 2009-05-10 23:25 | 村へゆけ