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中古民家主義者の神保町三崎町&西神田ツアー

昨日 中古民家主義写真展と平行して、
中古民家ツアーとスライドトークを開催した。
面白かった。

中古民家主義者の神保町三崎町&西神田ツアー_d0149411_22555430.jpg

まずは、写真展会場である神田神保町の「本と街の案内所」に集合。
この建物探険をしてから、同じく靖国通り沿いにある
アジアン小物屋の「季節風」に、おじゃまさせていただく。
ここの2階にある和室は、一般客に1時間単位で貸して下さるのだ。

きれいに手入れされた和室に惚れ惚れしながら、九段下ビルに向かう。
有名な中古民家物件だが、もう随分1階の店舗も減ってしまった。

日本橋川に架かるまないた橋を渡り、商店が並ぶ一角を行く。
何故かというと、
江戸時代に江戸城を囲むようにして武家地が並ぶこの地にあって、
この一帯だけが、何故か町人地だったからだ。
多分、日本橋川の舟運と江戸城の出入り口の接する場所だからかなあ、
と、勝手に想像。

ちょうど秋祭りだったので、御神酒所で町会長さんをはじめ、
地元のお歴々に、お話を伺う。
もちろん、前もってお願いしておいたのだけど。

それによると、以前は1000人も住んでいた町内会には、
ただいま50世帯のみ。
でも、子弟や知り合い伝手に、ちゃんと御神輿の担ぎ手を自己調達していた。
その心意気に驚いた、さすが江戸っ子。

この一帯は以前は飯田町と呼ばれていたそうで、
うんとお年寄りは今でもそう呼ぶらしい。

河岸といっても、戦後20年代ぐらいまでの話で、
しかも当時はおわい舟だったという。
先代の時代には、砂や砂利だったらしい。

商業ビルが並んでいても、ちゃんと町として賑わう一角から、
いきなり再開発地区へ。
高層ビルがズドンと天を突くその光景に、一同唖然。
端っこには、洋館が凛として残っている。
絵本の「ちいさなおうち」のようだね、と、皆で眺める。

この北側には、いきなり斜めの道路が始まる。
江戸時代には講武所、明治時代には軍用地であった三崎町を巡った。
明治時代、かの三菱財閥が、
現東京駅周辺と抱き合わせで政府から買い取って、開発した町なのだ。
もっとも第二次世界大戦で燃えてしまったので、今はビルだらけ。
でも面白い話もちゃんと仕込み済みである。

ここから、関東大震災後の建築物である「研数学館」と、
神田カトリック教会などを回り、
最後は、ジャーン、元喫茶店だった物件にさ迷い込む。
これがすごいのだ。

と、いうわけで、凄いスピードで2時間分、歩きに歩いた。


自分では、かなり面白かったが、
参加者の皆様はいかがでしたでしょうか。
今後の参考にさせて頂きますので、
ご意見・ご感想、どこが面白かったか、改良点などを、
どうぞお気軽にお知らせ下さいませ。

よろしくお願いいたします。

という訳で、遅くなりましたが、ご報告の第一弾終了。

それから写真展は、まだまだ続きます。ご覧下さいませ。

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そんな訳で、この日の私が食べたのは、

・北海道産の甘塩鮭焼き
・いかの塩辛
・カボチャとナスと鶏肉の煮物
・もやしとニラの味噌汁 など
・頂き物の、めちゃ甘くて美味しい梨

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秋の味覚に、ご飯がやたらと進む。
食欲の季節到来だ。

by sibamataumare | 2008-09-14 22:56 | 中古民家主義