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もっと電気が無い暮らしの話

やっと原稿が書き上がった。
爽快な気分だ。やっぱり。

長らくあいてしまったが、ベトナムの電気無い話の続きを書く。
私が通っていたのは1990年代前半から後半にかけてなのだが、
毎回必ず滞在させてもらう家が、数軒あった。
そのうちの一カ所は、本当にへんぴなど田舎で、
電気が全くなかった。
それどころか、電話さえ、自転車に2人乗りして数十分の隣町まで行って、
貴金属店に貸してもらいに行くのだから、
半日仕事なのだった。

数年通ううちに、電気の無い生活にはずいぶんと慣れた。
ここは未開の地なのだろうと、勝手に思っていた。
ところが、数年経ったある日、驚くべきことが判明した。
「20年前のベトナム戦争まで、この村には電気が通っていたんだ」。
村の青年に聞かされて、あぜんとした。

バブル真っ盛りの日本では、「人間は進歩して発展し続けなければならない」と、
当たり前のように言われていた。
「何で進歩しなくちゃいけないの?、昔に戻っては駄目なの?」と、
いくら私が村やベトナムで体験してきた「祖末な暮らし」を、
思い浮かべながら疑問を呈しても、
誰もが「そんな訳にはいかない。不便な暮らしに戻れる訳がない」と、
断言していた。
(もっとも、当時でさえ、現代ほど便利でもなかったんだけどね。
パソコンも携帯電話もそれほど普及していなかったし)。

だからこの「昔は電気があったのに、今はなくて、でも普通に生活している」
この事実を知った時の驚きと喜びはなかった。
人間は、一気に時代を引き戻されても、ちゃんと生きていけるんだ。
それを目の当たりにしたのである。

今回の大震災でも、戦争と同じようにすべてがなくなった。
宮城県の小さな漁村で避難生活を送った漁師の知り合いによれば、
「皆で残った家に共同生活して、山の水を汲み、火をおこして飯を炊き、
がれきの下から食べものを見つけては皆で分け合い、
自衛隊も待っていられないので、
昔の山道を自分たちで削って車が通れる道路まで作った」という。
彼らにとっては、未知なるサバイバルじゃなくて、
少し前まで、いや今でも続けているかもしれない、
当たり前の生活の延長線上に、避難生活はあったのだ。

人は昔に戻れるのだ。
自信を持っていい。

by sibamataumare | 2011-06-22 16:43 | ベトナム